日々のなんとかしたいをなんとかするブログ

物を減らして、家事を減らして、ミニマルライフを目指します。

思い出の手紙を捨てるまでのあれこれ

こんにちは、ヒビコです。

 

9月ですか…

そうですか…

 

さて(9月のくだり何もなし?)、

常に「捨てられないものNO.1」候補に挙げられるものといえば、

もらった手紙ではないでしょうか。

 
f:id:hibinan:20170902123456j:image

私も小学生時代から

友人たちとたくさんの手紙をやりとりしてきました。

特に中学、高校時代は毎日。よくそんな話題あったなと思いますが、本当に毎日手紙を書いていました。

 

そして恐ろしいことにそれを全部保管。(本当にあった怖い話)

全部ですよ。全部。ひぃぃ。

年代別にそれぞれ紙袋に入れて、実家のクローゼットの上段に

ずっとしまっていました。

 

大人になるまで

手紙は捨てないものだ

と思い込んで何の疑いも持たなかったのです。ひぃぃ。

 

しかし、断捨離をはじめたことで、だんだん

「これって捨ててもいいのかな…?」

という気持ちが湧き上がってくるように。

 

でも長年の呪いのような思い込みはなかなか強固で、

気になりつつも、行動には移せないまま数年が経過。

 
f:id:hibinan:20170902123548j:image

 

実際に捨てられたのは1年くらい前です。

 

断捨離に慣れて、だんだん物を手放すことに躊躇がなくなってきたことと、

実際に手紙のやりとりをしていた友人と、その話になったことがきっかけです。

 

その友人とは、中学時代に手紙を毎日のように書きあっていて、

お互いの手紙をどっさり持っていました。

 

でも、ある時彼女が言いました。

「実家の引っ越しの際に、過去の手紙は全部捨てた」

と。

 

 その話を聞いたとき私が思ったのは、

 

 「えっせっかく書いたのに捨てちゃったの?!」

 

ではなく

 

「あの読み返すのも恥ずかしい私の手紙はもうこの世にないんだ!良かったー!」

 

でした。

この、すごくほっとした気持ち、わかっていただけますかね…?

 

そこで思いました。

 

今まで「せっかく書いてもらったものを捨てるのは悪いな」

という気持ちがありましたが、

手紙を書いた方はむしろ早く捨ててほしいと思っているかもしれない。

(もちろんそうでない人もいると思います。)

 

だって、よく昔の文豪の手紙とか公開されてますけど、

後から私信が世間に公表されるなんて辱め、

私が本人だったら耐えられません…。

特に恋文とか。

天国からあらゆる手段を講じて、なんとしてでもこの世に降臨し、手紙を破って捨ててなかったことにします。

そして思うでしょう、「なんで捨てといてくれなかったんだーー!」と。

 

まあ、私も友人達も文豪じゃないので世間に手紙が公表される心配はありませんが、家族には読まれますよね。

 

大げさですが、

手紙を処分せずに今私が死んだら、

友人たちに迷惑がかかる。

処分する家族も大変だ。

 

そう思ってから、実際に捨てるまではそれほど時間はかかりませんでした。

既に友人が私の手紙を捨てていた、というのも

大きな後押しになったと思います。

 

シュレッダーを持っていないので多少苦労しましたが、

それでも処分の作業は数時間。

 

途中、やってはいけないと言われる「読み返し」もしてしまいました。

すごく懐かしかったけれど、処分への決意が固かったので無事最後までやりきることができました。

 

終わった後は、

これでこの件に関してはいつ死んでも大丈夫だ、と

ものすごい爽快感!

 

少しは後悔するのかなあ、とも思いましたが、

今のところ一切後悔はありません。

実際の手紙を捨てたところで、手紙をやりとりした楽しい思い出があることに変わりはない、と改めて気づきました。 

手紙=思い出の品、だけど、思い出そのものではないんですよね。当たり前か。

 

 

そして、これ以来、手紙はためこまないで処分できるようになりました。

読み返したりするのでしばらくの間は保管して楽しみ、その後は処分します。

 

 

できれば私の手紙もそうしてもらえれば嬉しいなあ。

 

もしかしたらこれから文豪になってしまう可能性もゼロとは言えないし。(ゼロだよ)